言語相談室を再開しますのご連絡をすると、皆さんから
『再開の連絡ありがとうございます。楽しみにしています』と言っていただけて、ST冥利につきます。
訓練や相談、なのに、『楽しみ』だと言って頂けること、字面上なんだか不思議ですよね。
しんどいことや困ったことがある状況が解消されるとしても、それが楽しみ、というと違和感があるのですが、STと『会う』ことを『楽しみ』にして頂ける、というのはその時間が対象者自身にとって楽しい時間となっているということなのかもしれません。
きっと、『話す』事自体、やり取りすること自体に、発見や驚きがあり、また、小児だと、保護者が子どもを客観的に見ることができるのは、本当に楽しいのでしょう。
また、言語障害をもつ本人も、わかるに出会ったり、わかってくれるに出会えて楽しい、伝わる安心、伝えたい気持ちの湧出、話すことを楽しめる空間だと感じてくれるのでしょう。
そして、また行きたい、また会いたいと思って頂けるのは、そういう場を提供できているのかなという、小さな自信を頂ける気がします。
言語訓練は「訓練」と言う名前がつくし、思い出せないことばを思い出したり、わからないことばを理解しようとすること自体のしんどさを伴うこともあるだろうと思いますが、コミュニケーションの訓練なので、会話が成立したら楽しみにもなれる。成立しなくても、汲み取ってくれようとする人の誠意を感じられる空間を居心地が良いと感じて、安心感から楽しみが生まれる。
嚥下訓練だって、どうやったら食べられるかを考えてくれる人があの手この手で食材を工夫してくれ、調整がうまく言ったら「美味しい」が楽しみになる。
STの訓練は対象者の楽しみになれる。楽しみを提供できる。
そこも面白いところの1つではないかなと思います。
私たちは、伝えたいことが伝わりにくくなった人たちの伝えたいことが伝えられる方法を探ります。わかりにくくなっている人たちがわかりやすくなる方法を探ります。
食べにくくなった人の食べやすい、安全に食べられる方法を探ります。
その方法を使えば当事者とのコミュニケーションや食事提供は誰にでもできることかもしれない。
でもその緒を探ることが、私たち言語聴覚士の役割であり、技術だと思います。
それはとっても地味で、目立たない、裏方的な仕事です。
ありがとうと言われることが喜び、などということもよく聞きますが、そこまで目立った活躍も実はないかもしれません。そっと、ちょっと、きっかけとなるなにかに携わったくらいのことです。
でも私はこの黒子のような役割が好きだし、黒子のような役割が担えたときほど達成感があるように感じます。
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