前日にこのブログを書きながら思いついた「オンラインランチ」。
少人数がいいかなと思って、もともと仲のいい3名をお誘いしたら、3名とも「入ります」とのお返事。
教員が誘うから断りづらかったかしら…とも思いつつ、午前中は総合演習の講義だったので終わってから集まってもらいました。
勉強のことは一切話さない。「お昼何食べてんの?」なんて話しながら、画面立ち上げておしゃべり、勉強しなくて良かったらどこ行きたいとか。私のことを話したり。
ちょっとの間、喋ったり、笑ったり、『1人ではできないこと』をやって、リフレッシュ。できたかな。
「ここがよく出るよ」「ここは覚えとこうね」などの試験対策も必要ですが、こういった時間も大事だよなと思ったり、メールだけでなく、こうやって話して笑えてる学生の声や顔を確認することは私にとっても大事だと思えました。元気そうで何より。もうちょっとがんばれそうかななんてのも、やはり顔を見たらわかりますね。
もちろん緩めようと思えばいくらでも緩むのが自宅学習だと思いますが、そういう緩みの時間は寝る前に「今日は勉強が進まなかった」みたいな後悔にもなるらしく。
適度な緩みが次のエネルギーを生んで、「今日は充実していた」と感じて終われることが、また明日のがんばりにもつながるならいいですね。
そういうメリハリを自分で作れたらいいのだろうけれど、実際は難しいんだなと思いました。
去年のように登校させられていたら、美味しい紅茶やコーヒー、おやつなんかも出してあげられるけどなぁなんて思いつつ、去年の雑談タイムはこういう効果もあったのかな、とも思いました。
自宅学習は「家族以外の人と話さない」環境になります。一人暮らしをしていたらなおさら、誰とも会話をしません。
誰も見ていない、誰にも何も言われないという環境は、人との揉め事が生まれない楽さはありながら、閉塞的で自堕落に陥りやすいと思います。
何より、『誰とも話さない生活』って、なんだかちょっとだけ『取り残される感じ』もありませんか?私は産前産後がそんな感じでした。1日で喋ったのは旦那さんだけ、スーパーのレジの人の「ポイントカードはお持ちですか」に「はい」って言っただけ。目の前の赤ちゃんの世話など、することはたくさんあるけれど、それは日々単調で変化が少なくて、自分のところだけ時間が進んでないような、世の中からちょっと取り残されたような、鬱々とした気持ちになりやすかったのです。
今の学生さんの環境も、国試勉強というすべきことがあるとはいえ、誰とも話さない日々は、オンライン講義で話す教員を見ていた前期よりもっと閉塞的な中で、試験勉強だけに集中してやれているかと言われたら、なんか違う気がします。
人と他愛ないことを話した今日がある。ちょっとだけ季節を感じたり、時間を感じたり、一瞬笑った、驚いた、それだけで少し湧いてくるエネルギーが、すべきことをがんばれる力になる、かもしれない。
それは別に教員が提供すべきでもないかもしれないけれど、コロナ禍でなければこのような環境では勉強させていないと思うので、少しでも、やれることがあるとして、こういった支援も、やった結果がどうなるかはわからないとしても、やってみて効果を検証していく余地はあるかもしれません。
広島都市学園大学言語聴覚専攻科はまだ、始まったばかり。2年を走り抜けるために、最後のラストスパートを前だけ見て走るために、大学は、教員は、どんな支援ができるか、必要か。学生に求めることは何か。
ベテラン教員の経験値と、このコロナ禍や時代背景に合わせて、色々試行錯誤したものを組み合わせて、それが専攻科のカラーにもなるといいなと思います。
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